お金の奴隷になっている時

マタイ6 19-21
19
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
20
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
21
あなたの宝のある所には、心もあるからである。

 

ルカ12 29-31
2:29
「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます、
2:30
わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
2:31
この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、

 

お金の奴隷になっていると感じる時に、心のあり方を見つめ直し、真の豊かさとは何かを考えさせてくれる聖書の一節をいくつかご紹介します。

 

* **マタイによる福音書 6章24節:**
> だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に仕えて他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。

 

この箇所は、お金(富)を絶対的なものとして追い求める生き方と、神に仕える生き方は両立しないことを教えています。どちらを自分の主人とするのかを考えるきっかけとなります。

 

* **テモテへの第一の手紙 6章9-10節:**
> 金持ちになろうと焦る人々は、誘惑とわな、また、人を滅びと破滅に陥れる多くの無分別で有害な欲望に陥ります。金銭欲は、あらゆる悪の根源です。それを追い求めるうちに、信仰から迷い出て、多くのかかるない痛みで自分を刺し貫いた者もいます。

 

この箇所は、お金を追い求めることの危険性を警告しています。真の満足はお金によっては得られないことを示唆しています。

 

* **ルカによる福音書 12章15節:**
> そして人々に言われた。「どんな貪欲にも用心しなさい。満ち足りている人の生活も、その所有物によって成り立つものではないからである。」

 

このイエスの言葉は、物質的な豊かさが真の豊かさではないことを教えてくれます。お金に心を奪われるのではなく、もっと大切なものに目を向けるように促します。

 

* **箴言 30章8-9節:**
> どうか、偽りと欺瞞の言葉をわたしから遠ざけ、貧しくも富裕でもなく、ただ必要なパンでわたしを養ってください。満腹して、あなたを知らないと言い、だれだ、主とは、と言うことのないように。また、貧しくて盗みをし、わたしの神の御名を汚すことのないように。

 

この祈りは、過不足のない生活を願い、お金に支配されることのない心のあり方を求めています。

 

これらの聖句が、お金に対するあなたの考え方を問い直し、より自由な心のあり方を見つける助けとなることを願っています。