誤解された時

マタイ5 10-12
5:10
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:11
わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
5:12
喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

 

誤解された時、心が痛み、どうしたら良いか分からなくなることがありますね。そんな時に、少しでも心の支えとなるような聖書の一節をいくつかご紹介します。

 

* **ペトロの第一の手紙 2章19-20節:**
> もし、不当な苦しみを受けながらも、神を意識して耐え忍ぶなら、それは恵みです。罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍ぶとしても、何の誉れがありましょうか。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御前に誉れあることです。

 

この箇所は、不当な苦しみ、つまり誤解による苦しみも、神の御前では価値あることだと教えてくれます。耐え忍ぶことの意義を示唆しています。

 

* **マタイによる福音書 5章11-12節:**
> あなたがたは、わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を言われるとき、幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天にはあなたがたの報いが大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたからである。

 

誤解され、非難されることは苦しいことですが、イエスはこのように言われ、天における報いを約束されています。

 

* **ローマの信徒への手紙 12章17-18節:**
> だれに対しても悪をもって悪に報いることをせず、すべての人に対して善を行うように心がけなさい。できるなら、あなたがたは、すべての人と平和に過ごしなさい。

 

誤解に対して、同じように反論したり、恨んだりするのではなく、できる限り平和を保つように努めることの大切さを教えてくれます。

 

* **コリントの信徒への第一の手紙 4章12-13節:**
> 労苦し、自分の手で働く。ののしられれば祝福し、迫害されれば耐え忍び、そしられれば穏やかに答える。わたしたちは今に至るまで、世の塵、万物の滓のようになっています。

 

使徒パウロ自身の経験を通して、誤解や非難に対してどのように応じるべきかの模範を示しています。

 

誤解されるのは辛いことですが、これらの聖句があなたの心を少しでも慰め、どう向き合っていくかのヒントとなることを願っています。