マタイ11 28-30
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
マルコ5 25-34
ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。
この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。
彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。
すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。
イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言われた。
そこで弟子たちはイエスに言った。
「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか。』とおっしゃるのですか。」
イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。
そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。
安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。
ヨハネ5 5-9
5:5
さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
5:6
イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
5:7
この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
5:8
イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
5:9
すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。その日は安息日であった。
ヨハネ9 1-7
1
そのときイエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
2
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」3イエスはお答えになった。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。
4
わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。
5
わたしは、世にいる間、世の光である。」
6
こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。
7
そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
病気で苦しんでいらっしゃるのですね。心身ともに辛い状況だと思います。そんな時に、少しでも心の支えとなり、慰めと希望を与えてくれる聖書の一節をいくつかご紹介します。
* **詩編 34編17-18節:**
> 正しい人が助けを呼ぶと、主は聞いてくださる。彼らをあらゆる苦難から救い出してくださる。主は心の打ち砕かれた人に近く、霊の砕かれた人を救われる。
この詩編は、苦しい時に主が私たちの叫びを聞き、救ってくださるという希望を与えてくれます。
* **マタイによる福音書 11章28節:**
> 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
イエス・キリストご自身が、病や苦しみで重荷を負っている私たちに、ご自身の元に来て休むようにと招いてくださっています。
* **コリントの信徒への第二の手紙 1章3-4節:**
> 恵みに満ちた父、あらゆる慰めの神である、わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は、わたしたちのあらゆる苦難のときに慰めてくださいます。こうして、わたしたちは、神から受ける慰めによって、あらゆる苦難の中にいる人々を慰めることができるのです。
この箇所は、神があらゆる苦難の中で私たちを慰めてくださり、その慰めを通して他の苦しむ人々を慰めることができると教えてくれます。
* **ローマの信徒への手紙 8章18節:**
> わたしはこう考えます。今のこの苦しみは、やがてわたしたちに現れる栄光に比べれば、取るに足りないものです。
現在の苦しみは、将来の栄光に比べればわずかなものであるという、希望に満ちた言葉です。
これらの聖句が、あなたのつらい状況の中で、少しでも心の支えとなることを願っています。