心が責められる時

ローマ信徒手紙 8章31-39
では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。
もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。
わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。
人を義としてくださるのは神なのです。
だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。
死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。
艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
わたしは確信しています。
死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 

ヨハネ手紙① 1の4-9
1:4 これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。
1:5 わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
1:6 神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
1:7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
1:8 もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9 もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

 

心が責められる時に、赦しと平安を与えてくれる聖書の一節をいくつかご紹介します。

 

* **ヨハネの第一の手紙 1章9節:**
> もし、自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不義から私たちを清めてくださいます。

 

この箇所は、私たちが自分の罪を神に告白するならば、神は必ず赦してくださると約束しています。心の重荷を下ろす第一歩となります。

 

* **ローマの信徒への手紙 8章1節:**
> それゆえ、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

 

イエス・キリストを信じる者は、もはや罪の裁きを受けないという希望に満ちた言葉です。過去の過ちにとらわれず、新しい歩みを始める勇気を与えてくれます。

 

* **詩編 32編1-2節:**
> なんと幸いなことでしょう、背きを赦され、罪をおおわれた人は。なんと幸いなことでしょう、主が罪を認めず、その霊に欺きのない人は。

 

この詩編は、赦された者の幸いを語っています。罪の意識から解放され、平安を得ることの喜びを示しています。

 

* **イザヤ書 1章18節:**
> 主は言われる。「さあ、来て、われわれは論じよう。たとい、あなたがたの罪が緋のようであっても、雪のように白くなる。紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」

 

神は、私たちの罪を完全に洗い清め、新しくしてくださると約束しています。心が責められる時に、この神の約束は大きな慰めとなります。

 

これらの聖句が、あなたが心の重荷から解放され、神の平安で満たされる助けとなることを願っています。