「罪」を犯したとき

●「罪」を犯したとき●

詩編
51:1
神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
51:2
わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
51:3
わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
51:4
わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
51:5
見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
51:6
見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
51:7
ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
51:8
わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
51:9
み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。
51:10
神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
51:11
わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
51:12
あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。

 

ヨハネによる福音書
3:1
パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。
3:2
この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
3:3
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
3:4
ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
3:5
イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
3:6
肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
3:7
あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
3:8
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
3:9
ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。
3:10
イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。
3:11
よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。
3:12
わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。
3:13
天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。
3:14
そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。
3:15
それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。
3:16
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
3:18
彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。
3:19
そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。
3:20
悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。
3:21
しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。

 

1ヨハネの手紙
1:5
わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
1:6
神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
1:7
しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
1:8
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
1:9
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。 主イエスの血、全ての罪より我らを潔む。
1:10
もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。
第2章
2:1
わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。
2:2
彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。
2:3
もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。
2:4
「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。
2:5
しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、神の愛が真に全うされるのである。それによって、わたしたちが彼にあることを知るのである。
2:6
「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。